東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・56 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・56

群馬県山田郡毛里田村の公害に関して、菅井はさらに、簡潔に箇条書きすれば、次のように解説していきます。


1.0.06ppmという水質基準は、恩田の主張どおりあまりにもゆるすぎた。


2.桐生市水道局の検査では、1969年の5,6月にはこの基準の6倍から10倍の砒素が検出された。


3.1970年においては、基準の4、5倍の砒素が検出された日は、1ヶ月で十数日もあった。


4.1971年には、毛里田地区産のお米が、カドミウムに汚染されるという問題が起こった。


5.恩田のあとに同盟会の2代目の会長になった板橋明治等は、この年の6月、古河鉱業に対して1戸当り1200万円、1100戸分の鉱毒被害補償として合計132億円と、親子3代にわたる生活補償を要求した。しかし、古河鉱業は、農民側の要求を全く無視した。


6.同年8月31日、同盟会の板橋会長等は、80年間の農作物被害の補償として総額120億円を請求することにし、発足したばかりの環境庁の大石武一長官に協力を要請する陳情を行った。


7.1972年、同盟会は古河鉱業に120億円の損害賠償を要求した。しかし、同社は「この農民側の少なすぎる要求を一蹴したばかりか、カドミウム汚染米に責任があることまで否認したのである」


彼が120億円の損害賠償を「農民側の少なすぎる要求」と言ってのけていることに、そのお粗末さがよく現われています。


学者である以上、農民側の言うことを鵜呑みにするだけでなく、企業側の事情もよく検討して客観的に事実をとらえる必要があるのに、そんな気配は全く見られません。


もし、企業側が被害者側の要求に従って無理に賠償金を支払い、それで会社が潰れたら、その会社のおかげで食べている人たちはどうなるのでしょう。