東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・54 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・54

足尾鉱毒事件の再現と著者菅井のいう、群馬県山田郡毛里田村の公害が発生したのは、全国で次々に発生した公害事件が、重大な社会問題になった時期でした。

そして、本州製紙江戸川工場の廃水タレ流し事件を契機に、日本政府がそれまでの懸案だった水質2法を、この年(1958年)の12月に制定しました。
この2つの公害防止法とは、「公共用水域の水質保全に関する法律」と「工場排水の規制に関する法律」のことです。
菅井は当時の公害の様子を次のように解説しています。

「特にひどい産業公害は、紙、パルプ工場の廃液による河川や海の汚染で、国策パルプによる石狩川の汚濁、三菱製紙による阿武隈川沿岸の汚濁、兵庫県高砂市周辺の汚濁、兵庫パルプによる加古川沿岸の汚濁、西日本パルプによる高知県浦戸湾一帯の汚濁、大昭和製紙など大小の製紙工場が集中する富士市田子の浦一帯の汚濁など、全国各地でパルプ工場の廃水による公害が発生していた」


「チッソ水俣工場の廃水に原因する水俣病、三井金属神岡鉱山の廃水によるイタイイタイ病などの公害も社会問題化しはじめていた。もし、浦安町の漁民が本州製紙江戸川工場の公害に対して直接行動を取らなかったら、この水質規制2法案の成立は、疑いなくもっと先に延期されたことであろう」


つまり、菅井は、足尾鉱毒事件の再現は公害が日常化した時期にあった、と説明しているわけで、重大な公害ではないのだと言っているのです。