東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・51 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・51

菅井益郎の歴史認識は、反政府、反大企業に貫かれています。

しかし、どうでしょう。日本国民の大部分は、政権与党を支持し、有名大学を卒業して大企業に就職することを望んでいるのではないでしょうか。


ですから、彼の立場は国民一般とは反対で、客観性を欠き、偏向していると言うことが出来ます。


予想外に大きな台風が来れば、たとえ河川改修が行われていたとしても、被害を防ぐことは出来ないはずです。


ところが、菅井益郎は、原因を台風の規模の大小に求めずに、政府の欠陥に求めるような説明をするのです。
台風の猛威と河川の防災対策と被害の因果関係とを、どのように判断するのでしょう。判断は不可能なはずです。
自分を何者だと思っているのでしょう。引用しましょう。


「1947年9月、カスリン台風にともなう豪雨によって、渡良瀬川と利根川流域は大洪水に襲われたのである。・・・渡良瀬川の大出水を合流した利根川は、江戸川流域を本流として流れ下り、莫大な損害を発生させたのである」


「渡良瀬川は、1948年9月(アイオア台風)にも、1949年9月(キティ台風)にも出水し、大きな被害を出した」