東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・50 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・50

菅井益郎は、歴史的に何の意味もない動きを、大戦後についてもまたつづります。引用します。


「1946(昭和21)年5月、群馬県山田郡毛里田村(現太田市)の小暮完次は、東毛地方鉱毒根絶期成同盟会を組織し、古河鉱業にたいして石灰や肥料を要求した。・・・ただし、この運動は数年のうちに消滅してしまった」


「しかし、足利農民組合は、独自に古河鉱業と交渉して石灰などの現物供与を実行させたのである」


「1946年6月、栃木県は鉱毒対策小委員会を設置し、鉱毒被害の実態、土壌分析、石灰の使用調査をおこなうとともに、石灰や肥料の配給をおこなった。また、古河鉱業に徹底的な鉱毒流出防止対策と、被害農民へ損害補償をおこなうよう要望した」


この説明を読む限り、加害者の古河鉱業も行政当局も、被害農民にたいして、この当時としては信じられないぐらいまともな対応をしていることが分かります。


足尾鉱毒事件から既に50年近くたっているので、汚染物質が流出していたとしても不思議ではありません。しかし、被害の程度はそれほど大きくはないようです。


これより10年後、20年後に全国で次々と公害事件が発生しますが、そのときの加害企業や行政側の対応と比較すれば、格段の差があることがわかります。


にもかかわらず、菅井は悪意を持ってこの事実を書いているのです。何とも貧しい限りです。