東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・34 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・34

著者の東海林は、さらに、田中正造の言動は絶対的に正しく、彼に従わない者は裏切り者であると決め付けます。そこで彼は、この本で次のように書くのです。
何と単純でお粗末な思考なのでしょう。唖然とせざるを得ません。


「今や、かつて渡良瀬川流域の被害地を結ぶ鉱毒反対闘争は、谷中村一村の犠牲を承認し、見殺しにする他町村被害農民の離脱によって解体し、田中正造と谷中村残留民、他町村有志の少数のたたかいとなったのである」


「離脱した彼らは、人民の収奪強化によって日露戦争を遂行・勝利し、さらにアジア諸国侵略にのりだす日本帝国主義に、みずからの家と町村の維持発展を求め、支配者のイデオロギーによる農村秩序に組み込まれ、日本帝国主義を下から支えていったのである」


「また、かつて鉱毒反対闘争の中枢を担った左部彦次郎のように、栃木県土木吏となり、谷中残留民の切り崩し、買収の手先になるなど、行政側に寝返った者もあった」


足尾銅山の公害反対運動を主体的に闘い、結局政府や加害企業に公害防止対策を実施させ、被害農地を回復させた、当事者の「他町村被害農民」を、東海林は「日本帝国主義を下から支える者」と決め付け、当事者でない第三者の政治家田中正造や「谷中村残留民とたたかう」存在になったというのですから、驚きです。


さらに、この公害反対運動の最も優れた理論的リーダーで、自分の財産のすべてをそのために注ぎ込みつつ田中正造の行動を支え、結局何代にも渡る造り酒屋であった左部家をつぶしてしまった真面目な男を、正造の行動と共にしなかったという理由で「行政側に寝返った」とするのですから、唖然とするしかありません。


彼は、田中正造を絶対者に祭り上げてしまったため、正造に従順でない人々を裏切り者だと決め付けるほかないわけです。何と世間知らずの幼稚な青二才なのでしょう。