東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・33 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・33

東海林は、田中正造が国家に徹底して対立する意志を持っていたことに、ひどく共感しています。


そして、この二人にとっては、谷中村を遊水池に変えることは、国家の悪意としか受け止められないのです。
実際は渡良瀬川の洪水を防止することが目的であり、それによって沿岸住民を救済しようという善意の計画で、谷中村以外の沿岸住民も諸手を上げて賛同している以上、民主主義の原則から言えば、第3者が反対する理由はないはずです。


「時の国家によって、破壊・滅亡させられようとする谷中村に、みずから移り住むことは、相手の国家を否定し返し、国家以前の権利としての人民の生存権を主張してたたかうことである。このたたかいの中で、谷中村に残留する人民とともに、理想の自治を打ち立てることが、田中にとって、天国を新造することであったといえよう」


「明治37年3月、田中は、戦争で儲けをたくらむ者とこれに協力する悪魔へのたたかいをよびかけていた。<名を軍国に借りて社会を蹂躙し、私欲を逞しうせんとする悪魔を撲滅し、国民は国民の権利を保全することに努めよ>」


正造は、戦争をする者は悪魔であると決め付け、国民は戦争に反対する者だと単純に分類していますが、実際は、国民が支持するからこそ政府が成立しており、国民の多くが戦争に反対しないからこそ政府は日露戦争を遂行したわけです。


何で政府は悪魔で、「社会を蹂躙し、私欲を逞しく」したことになるのでしょう。
田中正造の考えている「国民」は、正造の理想としている社会主義思想を持った人のことで、大勢の一般国民とは違うほんの一部の日本人でしかありません。