東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・32 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・32

かなり重症の社会主義者であるらしい著者東海林吉郎は、正造が社会主義者ないしはそのシンパであることを発見して、感動を禁じえない様子で、次のように書きます。


「谷中の遊水池化計画は、早熟的な日本帝国主義の国内政策として捕えられるが、田中もほぼこれを理解していた。そして、日露戦争を前にして<ロシアは我が敵にあらず>と、社会主義への確信を深めてゆく」


「だから、彼はこう書く。<今の社会主義は時勢の正義なり。当世の人道を発揚するにあり。その方法の完全ならざると完全なるとに論なく、その主義において、この堕落国においては、もっとも貴重な主義なり>」


「田中は、日本がロシアに宣戦布告すると、これを<今や海外交戦の日に当って、なお国民を蔑視し、虐待し、貧苦疾病毒をもって殺す>と、怒りをもって迎える」


「さらに、<正造は今日といえども非戦論者なり。倍倍非戦論の絶対なるものなり>と、政府の戦争政策と鉱毒政策に自らを対置させて、この年7月、予告通り谷中村に入ったのである」


しかし、「谷中の遊水池化計画」が、いったいどうして「日本帝国主義の国内政策」なのでしょう。


いったい「日本帝国主義」など存在したのでしょうか。日本の政治家が帝国主義などという思想を持っていたとは、到底考えられません。だから、極左的思想に凝り固まった東海林が勝手に作り上げた観念にすぎません。


田中も東海林も「政府は悪で社会主義は善だ」と勝手に決めているだけ。二人とも何ともお粗末で幼稚な夢想家としかいえません。