東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・30 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・30

第2次の鉱毒調査委員会は、利根川と渡良瀬川およびその支流の大改修工事を行い、利根川と渡良瀬川の合流点付近に巨大な遊水池を建設しようという計画も立てました。

それは渡良瀬川の洪水を防止する対策だったので、洪水とそれに伴う鉱毒による田畑への被害に泣かされてきた沿岸の農民たちも、大いに賛成しました。


ただし、遊水池を造ることによって立ち退きを強制される谷中村の農民たちは、死活に関わる決定なので、当然大反対しました。

田中正造はその谷中の農民を応援したので、遊水池化大反対をその後生涯にわたって続けたわけですが、正造の方針を絶対とするこの本の著者は、政府のこの遊水池計画を次のように解釈します。


「渡良瀬川下流(つまり遊水池が計画された地点)の被害は、利根川の逆流水によるものであり、しかもこの鉱毒激甚の堤外無提地は、出水のたびに氾濫し、天然の遊水池の作用をもっている。したがって、ここに渡良瀬川の流量を一時遊水させ、本川の減水を待っておもむろに排水させる遊水池にするのが得策だ、というものだった」


つまり彼は、利根川が逆流すると言う正造のナンセンスな説を何の疑いもなく信じ込んで、政府の対策は間違っていると思いこんでいるのです。利根川の水は逆流するはずがないのに。


実際に谷中の遊水池が完成した後は、洪水が減り、被害がなくなり、農民の抵抗運動も起こっていません。

にもかかわらず、この事実を無視し、全くトンチンカンな解説をしているのです。

なんという時代錯誤なのでしょう。