東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・29 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・29

この本は、政府が直訴による世論の盛り上がりを警戒した、とした上で内務省が明治31年に次の治水対策を実施したと書いています。
直訴は明治34年12月ですから時期が合いませんが、引用してみます。


「関宿(千葉県、利根川と江戸川の分かれる部分)の江戸川河口を石材とセメントで埋め、明治初期には26から30間あった河口を9間あまりに狭める一方、渡良瀬川の河口(利根川への合流点)を拡幅し、利根川の水が渡良瀬川に逆流しやすくしたのである」(小出博著『利根川と淀川』)。


「この工事によって、合流点付近の低地に氾濫が起こりやすくなり、水源地帯の荒廃と渡良瀬川の河床と相まって、報告書が天然の遊水池と呼んだ鉱毒激甚地と化していたのである。この関宿の河口の狭隘化と、渡良瀬・利根両川の合流点の拡幅の事実は、ごく少数の官僚委員しか知らなかったものと見られる」


あまりにもばかばかしいことが書いてあるので、空いた口がふさがりません。
皆さんは、「川幅を狭めたら流れる水はそこから逆流する」と思いますか?そんなことは決して起こりません。流れの方向とは逆方向に巨大な反力が働かなければ逆流しないからで、川幅を狭めてもそういう現象は絶対に起きないからです。


しかし、何とも幼稚なことに、東京大学農学部林学科卒、東京農業大学教授の小出博は、中央公論の新書に以下のように書くのです。


「明治政府は、鉱毒水が江戸川を下って東京府下に氾濫することを恐れ、(関宿の)棒出しを強化しながら渡良瀬川の河口(利根川への合流点)を拡幅して利根川の水が渡良瀬川に逆流しやすいようにしたのである」


実際にはありえない専門学者のこの珍説を東海林が採用したわけですが、もともとこの逆流説は、田中正造が言い続けたもので、正造に洗脳された小出がこの説を妄信したわけです。小学生でも分かるこんな虚言を、大学教授がどうして信じたのか、田中正造研究のスター的存在だった東海林がなぜこれを鵜呑みにしたのか、全く不思議です。


ともあれ、嘘を信じれば、次々と嘘をつかなければならなくなります。「(この事実は)ごく少数の官僚委員しか知らなかったものと見られる」も、明らかに嘘が嘘を呼んだ結果です。