東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・22 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・22

公害予防工事にかかった費用についても、著者たちはとんでもないケチをつけています。


古河側の資料によれば、直接工事費は104万円(今のお金に換算して104億円)でした。これが唯一の数字といえます。他の計算例がないからです。
ところが、著者は次のように書くのです。


「ところで、この工事費は、総計104万円といわれる。だが、この金額に疑問がないわけではない。田中正造は、経理上支払ったように操作すればそうなるのであり、80万円でも20万円でもできたかも知れないといっている(全集第8巻27ページ)」


「古河は、足尾の各家々から男子一人ずつ手弁当で動員しており、無報酬の町民の帳簿上の処理にも疑問は残るのである」


ここで著者たちは、田中正造の発言を根拠に難癖をつけていますが、正造は「80万円でも20万円でも」といっているから、というのです。しかし、正造のこの言葉からは、彼が口からでまかせの、何の根拠もない嘘を言っていることが、むしろはっきりと分かります。80万円と20万円ではあまりにもかけ離れていますから、めちゃくちゃな嘘だと分かります。


にもかかわらず、正造の言葉を信用し、これを根拠に104万円は事実ではないと解釈する著者には、本当にあきれるばかりです。
「古河が手弁当で住民を動員した」も、話としてはむしろ反対で、「住民を動員した」のでなく、事実は「住民が志願した」はずです。


「もし期限内に竣工できなければ閉山になる」というのですから、足尾銅山で飯を食っている住民たちは「手弁当で」工事を手伝おうとするに違いないのです。
古河の作成した前記の資料を引用してみましょう。


「この大工事を起こすために第一に必要なのは人夫で、それを総計すれば58万3589人に達した。火急の際にこの多数の労働者を集めるのはすこぶる困難だった。ほとんど全国から拉致せざるを得ず、関東・東北から九州に至るまで百方奔走を尽くしてややその必要人員を募集できたのである」


「にもかかわらず、なお大いにその不足を感じたので、坑夫まで工事に狩り出した。しかし、坑内で労働する彼らは日射に耐えられず病人が続出して、その困難もまた言語に尽くせぬものがあった。そこで足尾、日光、今市などの地方諸氏が大いに同情して、それぞれ義援団体を組織し多数の人夫を卒えて当所の事業を援助したのである」


したがって、「無報酬の町民」の分は計算していないわけですから、実際の費用は、帳簿上の104万円よりも多かったはずです。「疑問は残る」どころか、事実は著者の推測とはおそらく反対だったのです。