東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・21 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・21

この本は、鉱毒予防工事の問題点をさらに次のように指摘します。


「また、沈澱池も決して満足すべきものではなく、大隈重信も指摘するように、生石灰による中和を怠ったばかりではない。冬期になると氷結し、鉱毒水はそのまま渡良瀬川に注いだ。栃木県議会がこの問題に関して建議した(明治30年12月28日)のは、よくよくのことといえるであろう」


これだけを読めばもっともらしく思うことでしょう。だから情報というのは怖いのです。
この見解に対して真っ向から反論した資料があります。それは前述した明治31年4月に古河が発表した『足尾銅山予防工事一班』ですが、それには反対派の言い分に対して、次のように説明して、誤解をしないでほしいと訴えています。


事実を客観的に知るには、双方の見解を並べてみることが必要です。大隈重信のような政治家ではなく、当事者である古河の技術者の説明は次のとおりです。どちらが事実に近いかは、皆さん自身が自分で考えて判断してください。


「世間往々に沈澱池の効用について疑いを抱く者がある。それは、寒冷の候には池水が氷結してその作用が働かなくなるというのであるが、実際の事情をよく知らないための誤解である。沈澱池も濾過池もそれぞれ交替池が作ってあるので、一つが働いている間は他方は休止している。そして、休止中の池が時に氷結することがあっても、沈澱・濾過作用を起こしている方の池は、決して氷結しないのである」


「足尾の山中の寒気は、誰でもよく知っているように、未だ流動水を氷結させるほど厳しくはない。抗水は普通水に比べて温度が高く、本山沈澱池のごときは常に脱硫塔の熱湯を注入しているし、池の中に注入するわけなので、波が立って停滞するわけがないのである」