東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・20 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・20

当時は脱硫の技術はなく、効果がないのは当たり前なのに、この本の著者は次のように古河や政府を責めるのです。


「事実、古河側が危惧したように、その効果は薄く、脱硫塔においてはまったく機能せず、煙害はさらに激化した」


「製錬所上流の松木村は、明治34年1月、<煙害救助請願書>を政府に提出することになるが解決されず、同年暮れに廃村・絶滅する。一方、古河側は予防工事後、その脱硫塔は世界稀有の装置として喧伝するのである」


「煙害が激化した」のは事実です。しかし、戸数40の松木村は、明治34年10月、古河から全部で4万円(今なら4億円ほど)の示談金を受け取る交渉が成立して立ち退いています。ですから「解決されず」は嘘です。


著者は、その事実は全く隠して「廃村・絶滅」と書き、古河だけが悪いとの印象を読者に植え付けているわけです。


その上、「脱硫塔が世界稀有の装置として喧伝した」とまで付け加えていますが、それは本当なのでしょうか。


工事の翌年の明治31年4月に古河が発表した『足尾銅山予防工事一班』には、次のように書かれています。
「脱硫塔はわが足尾銅山において世界で始めて、最も壮大なものを装置したといっても過言ではない。欧米諸国の鉱山には、稀には設けてあるとはいえ、当所のものと同様に語るべきものはなく、破天荒であり、且つその設計および成績について説明できる例はない。したがって、世間の学者、専門家たちは、当所の成績の報告を待ってようやく、その実際上の結果を知ることが出来るわけである」


まだその技術がなく、政府が抱えている専門家も設計することが出来ない装置を、世界で始めてつくったのですから、自慢したくなるのは当然です。


彼らの調査によれば、この装置の平均的な脱硫率は42%だったということです。


しかし、結果としては煙害がひどくなって、古河は松木の村民と立ち退き交渉をせざるを得なくなり、前記のような立退き料を支払って難題を解決したわけです。
そんな実態になってもなお、「世界稀有の装置として喧伝する」馬鹿がどこにいるでしょう。そんなことはしていないはずです。


さらに付け加えれば、日本で始めてのこの公害防止対策は成功して、煙害ではなく汚染水害による渡良瀬川の大規模農業被害の方は、見事に解決しています。だからこそ、反対運動は鎮まったわけです。その証拠はたくさんあります。


にもかかわらず、この本の著者は、この事実は隠し、被害の防止が技術的に不可能で、しかも数の上では問題なく少ない40戸の松木村の煙害だけを取り上げて、古河を批判しているのです。何とも卑怯ではありませんか。