東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・18
第3回の大規模な鉱毒予防工事命令のことを、この本はおよそ次のように説明しています。
この命令書は、亜硫酸ガスなどを除去する脱硫塔、鉱毒物質を除去する濾過池、沈澱池、泥砂堆積所や大煙突の建設他、全部で37項から成り、最後に「この命令書の事項に違反するときは、直ちに鉱業を停止すべし」と、工事期限を義務づけていた。
しかしこの説明は、実は、政府命令の厳しさを意図的に隠蔽した、明らかなごまかしです。
実際の命令書を引用して、分かりやすく解説しましょう。
第32項は、例えば次のように、沢山の工事ごとに工期を決めています。
「前項の工事は、この命令書交付の日より起算し、左の期日内に竣工すべし」
「本山沈澱池および濾過池は50日以内」
「小滝沈澱池および濾過池は45日以内」「旧坑坑水の処理は90日」
「本山製錬所の煙道は100日、大煙突は150日」
「その他各所の工事は180日」
政府は、明らかにこんな短期間では無理と考えられる工事期間を押し付けた上で、
「違反すれば直ちに鉱業を停止する」という第37項を付け加えたのです。
なぜ政府は、土木工事の常識では絶対してはならない、安全性を無視した、非常識な工期を決めたのでしょう。
建設工事では、発注者側が全体の工期を決めることはあっても、細目の工期を決めることはないのです。
私は、このときの農商務大臣が、田中正造の属する政党の党首・大隈重信だったからだと考えます。
ともあれ、常識的には不可能といわれたこの工事を、しかし、古河市兵衛は命令書の期日を守って竣工させたのです。
この本からは、古河側のそのような苦闘は何一つ伝わってきません。
鉱毒事件をまったく偏向した目で主観的に書いているからです。
でも、それでは歴史とはいえないのです。