東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・14 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・14

さて、年に3回もの大洪水があった異常気象の年、明治29年は、「6月30日の時点で公害防止のための紛鉱採集器が効かなかった時は、示談契約を見直す」という約束があった年です。
この本は、その示談契約の更改交渉の進展について、次のように説明しています。


「そして8月10日、植野村法雲寺で予定された、横尾輝吉ら仲裁委員と足利郡、旧梁田郡(この年3月足利郡に合併)、安蘇郡の8か町村の示談契約の更改交渉が流会し、永久示談の推進に事実上の終止符が打たれた」


この記述にどれほどのごまかしがあるかを、証明しましょう。
東海林と菅井が使った資料は、横尾輝吉の『足尾銅山鉱毒事件仲裁意見書』ですが、ここには概略次のように書かれてあります。


契約の更改期日の明治29年6月30日がきて、永久示談に応じなかった各村々の総代から、「公害防止用の粉鉱採集器は効かないからまた仲裁を頼む」との要望があった。
そこで、栃木県の県会議長の横尾は古河市兵衛にその旨を伝えたところ、「それでは仲裁を頼む」との返事だったので、8月10日から安蘇郡植野村の法雲寺で、被害地の総代諸氏と交渉する手はずを取った。


ところが、かつて経験したことがない大洪水が8月7日から15,6日にかけてあって、交通途絶で流会になり、さらに9月にまた大洪水があって、その下旬から「鉱業停止の請願に賛同する村人が続々現われたため、仲裁の件は取り消したい」と、総代たちが主張し始めた。


10月初旬、宇都宮の旭日館で仲裁委員会を開いたところ、被害民総代らは明治26年7月から29年6月までの損害金として、次の要求をしてきた。
安蘇郡植野村は10万8031円
同郡界村は10万8172円
足利郡久野村は8万5376円
同郡筑波村他5か村が13万301円


10月中旬、仲裁委員が上京して古河市兵衛にこの金額を伝えたところ、「この前の示談金額に比べて非常に多額だし、考えさせてほしい」といわれた。


11月初旬に上記の村の総代数人が来て、「要求した示談金ももらうが、鉱業停止の請願もするので、ご承知願いたい」と念を押して帰った。


示談契約の更改は、永久示談契約をしなかった人を対象にしたわけですから、「交渉が流会し、永久示談の推進に事実上の終止符が打たれた」という著者たちの説明は、この交渉は永久示談ではないので明らかに完全な間違いです。


上のデータからは、更改交渉をした被害民たちが相当に高額な示談金を新たに要求したことが分かります。したがって、


「このような金額で、過酷な永久示談に被害住民を屈従せしめることができたのは、国内政局の危機を転化する侵略戦争ー天皇制支配権力によって準備、主導された日清戦争が、被害農民を国家の名のもとに、強制したからだといえよう」


という著者たちの説明(第9回目を見てください)は、全く架空の話しだということが分かります。