東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・9 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・9

「永久示談契」なるものについては、内水護編の『資料足尾鉱毒事件』にある『足尾銅山鉱毒事件仲裁意見書』という、当時栃木県会議員だった当事者の横尾輝吉らがまとめた資料に、相当に詳しく説明されています。


「その後(最初の示談契約の後)、被害人民と銅山主と熟談の上永久示談契をしたのは、次の例のごとくである」


「1、金2000円也、明治28年3月16日、下都賀郡部屋村外4か村被害地主総代小倉嘉十郎外28名、古河市兵衛殿、保証人○○(2人)、明治25年8月25日付けご契約の次第もあるが、今般協議の上、さらに頭書の金額貴殿より領収つかまつり候事確実なり。したがって、どんな事故が生じても、損害賠償その他苦情がましいことは一切申し出ません。前回の契約は、本日をもって無効になります」


「このような例があって、下都賀郡に属する被害地はすべて永久示談となった」


さて、東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』は、こうした永久示談の結果を、次のように説明しているのです。


「永久示談の金額をみると、栃木県の場合、第1回の示談が1反歩平均1円70銭であったが、第2回示談ではそれより低く、1円40銭であった。総額も第1回の約10万9000円に対し、約6万4,000円と抑えられていた」


「このような金額で、過酷な永久示談に被害住民を屈従せしめることができたのは、国内政局の危機を転化する侵略戦争ー天皇制支配権力によって準備、主導された日清戦争が、被害農民を国家の名のもとに、強制したからだといえよう」


この説明は、明らかに読者をだましています。
上の数字の「1反歩平均1円70銭が1円40銭に下がった」ということは、ありえません。
田中正造の発言からも、上記の「下都賀郡部屋村外4か村被害地」のケースからも、示談金が上がったことは明白ですし、そもそも、農民が前より金額的に不利な契約を結ぶわけがないはずです。


前記の『足尾銅山鉱毒事件仲裁意見書』によれば、第2回の示談契約をした被害民は5127人で、第1回の契約者は8414人ですから、3000人以上は第2回の永久示談に応じていません。ですから、総額や平均額で比較しても意味がありませんし、契約金額は被害の程度によって違うので、比較することも不可能です。


因みに、『仲裁意見書』では、初回の示談金総額は7万6602円6銭、永久示談金の総額は3万4119円3銭となっています。
契約者数が違うのに、その総額を示して、契約金額が「抑えられていた」と説明するのは明らかにごまかしです。、この本の著者は何とまあひどい詐欺師たちなのでしょう。


しかも、「侵略戦争ー天皇制支配権力による日清戦争が、被害農民を国家の名のもとに強制した」と説明するに至っては、馬鹿馬鹿しくて、あいた口がふさがりません。