東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・7 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・7

前回に続いて、被害農民と加害者である古河鉱業の示談契約に関して、この本が書いている説明を引用します。


「そして、1892~93(明治25~26)年にかけて第1回示談を完結させると、古河側はさらに1894~97(明治27~30)年にかけて、第2回示談(永久示談)を押し付けてきたのである」
「第2回示談は、被害農民が永久に苦情を言わないという、永久に被害農民の権利を拘束してしまおうとするものであった」


「(この)永久示談の推進に、古河側は官憲と結託してさまざまな手段を弄した。同年(明治27年)8月1日の日清戦争の勃発が、古河側に有利に作用したのである」


この説明によれば、被害農民は一旦条件つきで(明治29年6月までに限った)締結した示談契約を、なぜか古河側に強制されて、無条件の永久示談契約に切り替えられたことになります。しかも、その背景に日清戦争があり、そのために被害民がやむなくその強制に従わざるを得なかったというのです。


果たしてこれは事実でしょうか。少し考えると常識的におかしなことだらけです。


いったい、話し合いによって約束を結んだ示談に関して、明らかに不利になると分かっていながら、なぜ被害農民が変更を受け入れるのでしょう。古河側も何で相手が不利になる条件を強制できるのでしょう。考えられないことです。


日清戦争と損害賠償といえる示談金とにどんな関係があるのでしょう。何にもないはずです。


「古河側は官憲と結託してさまざまな手段を弄した」とありますが、県議会議員の仲介で示談をするのに、何でそんなことが可能なのでしょう。一般的には、企業側は加害者責任を認めないはずなのに、古河は責任を痛感して大金を払うというのですから、そもそも低姿勢で交渉しているのです。


永久示談なるものの著者の説明が、いかに矛盾だらけで嘘っぽいかについて、次回から詳説しましょう。