東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・6 | 足尾鉱毒事件自由討論会

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・6

岩波新書の『田中正造』と同様、この本もまた、被害民と古河との示談契約について説明しています。
ポイントになる部分を引用します。


「示談契約は被害補償ではなく、徳義上という企業責任をあいまいにした、慈恵的名目のわずかな金額で、被害農民の口と権利行使を封ずるものであった。その示談金額は(栃木県の場合)、1反歩平均1円70銭。栃木・群馬両県の合計は、約10万9,000円であった」


皆さんは、原爆被害、サリドマイドやC型肝炎その他数多くの薬害事件、水俣病その他の公害事件をニュースで知っていると思います。その際に行政や加害企業が被害者に対してどのように対応したかも、よくご存知のはずです。


公害の原点とされる足尾鉱毒事件では、田中正造が議会で最初の質問をする前に、栃木県知事は示談による解決を提起し、加害者の古河市兵衛は加害者責任を直ちに認識し、そのために、今の金銭感覚では10億9,000万円を支出しているのです。
いったい、このような事例のニュースを皆さんはご存知ですか。


被害者への対応として、これ以上誠実な事例はないはずです。
それなのに、「企業責任をあいまいにした、慈恵的名目のわずかな金額で、被害農民の口と権利行使を封ずるもの」と批判するとは、いったい何と的外れなことでしょう。


示談金支払いの対象になった田畑は、1万町歩(1万ヘクタール)という広大さなのです。著者たちに、「1反歩平均1円70銭」だから少ない、とけちを付ける権利がどうしてあるのでしょう。
「会社が潰れてもいいからもっと支払え」というつもりでしょうか。


その翌年の正造の発言とその結果について、この本は次のように書いています。


「1892年5月、正造は第3回帝国議会で・・・再び農商務大臣の責任を追及し、鉱業停止を要求した。この田中の叫びに、明治政府はおろか、被害農民すら耳を傾けなかった」


被害農民は古河に不満をもたなかったわけですから、耳を傾けなかったのは当然のことではありませんか。