毎日記者のフィクション   | 足尾鉱毒事件自由討論会

毎日記者のフィクション  

明らかなフィクションを堂々とドキュメントと称している困った作家も、毎日新聞の元記者です。
ここに30年間在籍し、公害関係の本を精力的に書いている川名英之氏で、彼は、『ドキュメント・日本の公害・第4巻』(緑風出版)に、足尾の被害実態を、次のように描写しています。

「明治12年夏、渡良瀬川では、それまでにない魚の大量死が発生した。白い腹を見せて浮かび上がった魚は推定数万尾。さらに、この年の初秋には出水し、水と一緒にあふれ出たウナギは弱っていて、幼児でさえつかめたほどだった。この年、古河市兵衛は、足尾銅山に製錬用の機械を据え付けて稼動させ、鉱毒が大量に渡良瀬川に流れ込み始めたからである。明治13年夏、またも大量の魚が浮き上がった。明治18年、おびただしい数のアユが弱って泳ぐことができなくなり、やがて死んで流されていった。」


しかし、この文は完全なフィクションです。
足尾銅山は、明治10年に古河市兵衛の所有になりました。しかし、やっと胴の鉱脈に当たったのは明治14年で、それまでは本格操業に入っていませんから、製錬用の機械を設置していませんし、公害も発生するはずがないのです。
明治18年8月12日付け『朝野新聞』は、「渡良瀬川は、いかなる故にや、春来鮎少なく、あまたの鮎はことごとく疲労して、死して流れるもの少なからず、」と報じており、これが、公害発生の始めとされています。
こうなった原因は、田中正造のデマ演説にあります。

彼は、「明治12年、銅山に製錬用機械が据えられ、渡良瀬川の鉱毒汚染が始まって、県知事は魚の売買を禁止する布達を出した。」と議会で盛んに演説した上、農民たちに被害記録を偽作させたのです。

これを事実と信じ込んだわけですが、早くから常識になっている正造のこのウソを、公害問題に詳しい川名記者がどうして知らなかったのか。私には不思議でなりません。事実を調べることが仕事である新聞記者が、どうしてこうも簡単にだまされたのでしょう。