住友を褒め称えた毎日新聞② | 足尾鉱毒事件自由討論会

住友を褒め称えた毎日新聞②

古河市兵衛は、足尾銅山の公害対策への誠意を買われ、明治のインテリ層から「明治十二傑」に選ばれました。
公害防止工事から2年後、明治32年に、総合雑誌の『太陽』が読者にアンケートを行ったその結果、市兵衛は、伊藤博文や福沢諭吉を押さえ、トップの得票を得たのです。
こうした歴史事実を知ってか知らずか、木本記者は、「視野の広い方が公害を克服して繁栄し、目の前の利益にのみ目を奪われたものがその反対の汚名を残した。」とまでこの本に書きます。
なぜでしょう。それは、歴史的事実を無視し、いくらでも嘘を言える田中正造の言葉のほうを、絶対視したからに他なりません。
彼は、正造の次の言葉をまず引用します。

「別子銅山は、鉱業主住友なるもの。社会の義理を知り徳義を守れり。別子は鉱山の模範なり。関西の人は古河市兵衛の暴戻(ぼうれい)なるを知らず。住友と古河との人品を同じに見るのあやまち」

そして、こう書くのです。


「田中と伊庭(製錬所を四阪島に移した住友の総理)と。立場は全く違ったけれども、公害と真正面から取り組んだ同じ種族の最初の日本人であったといえないだろうか。」

新聞記者として、あまりにも偏向していませんか。
田中正造が、「明治十二傑」のアンケートで何票取ったかは不明です。