住友を褒め称えた「毎日新聞 」 | 足尾鉱毒事件自由討論会

住友を褒め称えた「毎日新聞 」

日経よりもっと徹底して偏向していたのは、毎日でした。『毎日新聞・大阪』がそれで、30年以上前のことですが、木本正次という記者の記録小説『四阪島』を5ヶ月間も連載したのです(昭和46年)。サブタイトルは、「公害とその克服の人間記録」です。
ところがこれを読むと、古河と比べて住友は、被害者との対応がいかに拙かったかがわかります。
まず、製錬所から出る煙で被害を受けた農民の激しい反対運動(明治26年から)に、住友は、加害者責任を全く認めませんでした。
根本的な対策として、四国本島の新居浜から瀬戸内海の無人島・四阪島に製錬所を移すのですが、移転に10年以上かかったばかりか、煙害はかえって広がり、反対運動も前より激しくなります。
それでもなお会社は、「被害の原因は煙害でない。」と言い張ったため、交渉はまとまらず、愛媛県知事の仲介で、住友が賠償の支払いや生産制限を被害民に約束したのは、反対運動がおきてから17年後(明治43年)だったのです。
古河の場合は、加害者責任ははじめから認め、被害民に損害賠償を支払い、その上公害防止工事も履行し(工事費は百数十万円)、その6年後には農地が復旧しています。
住友と違い、古河は農民からの抗議行動は全く受けていないのです。
ところが、単行本になった『四阪島』(講談社)で、著者・木本正次は、次のように書くのです。


「鉱毒を流しっ放しにし、自己の保存のためには権力と結んで下流の村(谷中村)をつぶしてはばからない足尾に対しては、閉山を要求するほかに戦う道がなかった。これに反して別子は、自分から煙害の新居浜を去って、孤島に移っている。それは裏目に出たし、長い曲折はあったが、それでも企業の基本的な<誠意>は、住民たちに汲み取られている。調印してから10日と経たないうちに、住友は賠償金のうち既往分33万9000円をすっぱりと支払った。」