日経から訴えられる① | 足尾鉱毒事件自由討論会

日経から訴えられる①

小坂銅山(秋田)の経営者・藤田伝三郎の伝記を書いたとき、足尾銅山(栃木)のオーナー・古河市兵衛の方が欧米の新技術の導入でははるかに先行していた事実を知りました。
そこで、古河市兵衛の伝記を書くことにしたのですが、その下調べ中に足尾銅山の鉱毒問題に直面した折、市兵衛が鉱毒の防止に巨金を投じて巨大施設を建設したことを知って、ひどく意外な感じを受けました。
私の頭には、そんな事実などインプットされていなかったからです。「これは面白いぞ」と思いながら、そのあまりにも過酷な鉱毒防除工事(工事期限が極端に短かかった)に関してもかなりのページを割きました。
そして、本を書き終える頃には、悪人的なイメージだった古河市兵衛は、経営者として抜群にすぐれた、しかも誠実な人に代わっていました。
一方、被害農民のために命を懸けて闘ったイメージの田中正造は、意外な裏面があることがわかってきました。たまたま、日本経済新聞の大きな連載記事に正造の国会演説が引用されていたのですが、その内容は明らかにうそでした。
その演説とは、別子銅山の「住友」を誉め足尾銅山の「古河」をけなしたものなのですが、引用のあと記事は「義人田中が手放しで称賛するほどに、この山(銅山)を改革したのが(住友の総理の)伊庭貞剛である」とつづいていました。
口からでまかせの、何の根拠もないデタラメ演説を基準に人物評価をするなんて、なんてひどい記事だろう。そう思ったので、本の中で「田中正造がいくら尊敬に価する人物だからといって、彼が作ったデタラメの話まで、何十万という読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか」と、その記事を批判したのです。