田中正造の嘘について(1) | 足尾鉱毒事件自由討論会

田中正造の嘘について(1)

布川さんからの反論を一つ紹介します。

明治26年の秋に渡良瀬川流域の鉱毒被害地が豊作になったことに関して田中正造は、6年前の公害防止工事の効果ではなく、前年秋の風雨によって、

「渡良瀬本支流水源の諸山岳が広く崩壊したため、ほとんど50年分の山土が被害激甚地の毒土を覆ったからだ」

と言い張りました。
そこで私は「そんな大規模な山崩れは実際上あり得ない。もしあったら空前の大災害を引き起こす」と書いたのです。布川さんはこの見解に対して、

「あったのです。当時の記事、記録が多く山崩れ、空前の大惨事を証明しています」

と、9月28日の足尾町や日光の風水害、男体山の山崩れなどの例を挙げて来ました。
続いて私が、50年分という「新土なるものが被害地の田畑にちょこんと置かれることもあり得ず、その土が即農耕に適する可能性も無に近い。つまりはあまりにも幼稚な嘘で、誰も信用するはずの無いバカバカしい話である」と書きました。これに対して布川さんは、次のように反論しました。

「これは自然の猛威、大水害の恐ろしさをまったく知らない、渡良瀬川流域に住んできたものからすれば、幼稚な意見、バカバカしい限りの文です。」
「ちょこんと置かれるはずは無論ありません。除去した土の置場も無いほど耕地全面に20センチも新土が堆積したのが実情でした。この事実を<幼稚な嘘>とか、正造の珍説と決めつけることこそ、珍説といわれるべきでしょう」


このやりとりを皆さんはどのように考えますか。